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2012/04/23

ICU退学2年目 中間レポート



理由を再び
 「社会の圧力」とはあってないようなものだ。この圧力は体感するというよりも、勝手な被害妄想でしかないけれど、その想像がもたらす圧力は随分力強いと思う。そして、その圧力は世代や性別、そして身を置いている環境で随分と異なるものだと思う。今回は、ICUをやめてアフリカから帰国した僕が感じたそれについて書きたい。そして、その圧力から逃れて自分が何をしていくのかを書いて、読者に石川純が何をしているのか晒そうと思う。つまり、ICU退学2年目中間レポートだと思ってもらっていい。

 さて、いくつかの機会、会った人ごとに自分がICUを止めた理由や村の話、アフリカの話をしてきた。それを今回は文章にしようと思う。まず、僕がICUを止めた理由は3つあった。

1. 金銭面
2. アフリカの現実
3. 経験するスキル

1.金銭面
 家庭的な事情と大学の学費が釣り合わなくなった。退学した後に家庭の経済状況を知ることになるが、両親に払わせることができないと気づく。現時点ではICUに戻る予定だが学費は奨学金でやりくりしながら、自分で払う他ない。それこそ、一年後にはパトロン募集したいところだ。


2. アフリカの現実
 テレビに映し出される、お腹を大きくした肌の黒い子供達が本当にいるのか。貧しさ、豊かさが何かを見たかった。ICUという環境を活かすために、勉強よりも先に現実を見たかった。

3. 経験するスキル
 自分がのばせる部分は学力よりも経験値だと思った。要は、他の人ができないような経験をしたかった。(事実した) そして、その経験が新しい次の経験に活きる。そのサイクルを作りたかった。

この3つが大学を止めた時の考えだった。


大学を辞めて
 大学をやめて旅に出るためにアルバイトを始めた。結果から言うと、僕には数ヶ月で●●円貯めるということができなかった。理由をこれから言う。それはただの甘えで「平成生まれ」とか「ゆとり」とか言われてもしょうがない。ただ、それは俺がその「だらしなさ」を持っていただけで、すべての人に適応されないということを、伝えておきたい。自分がアルバイトを続けられなかった理由は、簡単に言えば、現実と理想に大きなギャップがあった。「自分はできる」って何となく思っていた。しかし、自分が入りたいようにアルバイトのシフトに入り続けられる訳ではないし、家賃を払うともなると、さらにお金を貯めるのが大変になる。だから、目的が「旅にでる」で手段である「アルバイトでお金を貯める」がうまくいかず、随分と落ち込んだ。その時に学んだことは、自分は当たり前のことをできない人間だったということ。いわゆる「社会」に適合するには知識も技術も忍耐力もなかった。

 
 そして、再びアジア学院で3ヶ月農業をした。英語も勉強した。アフリカ人の友達も増えたし、この頃から、「コミュニティ」に興味が湧いてきた。それが今の村作りに繋がる。アジア学院は異空間だ。時間を作って是非、参加してみた欲しいと思う。


 ここで、僕の英語能力について少しだけ挟んでおこう。僕の英語能力は随分、酷いものです。中学校はまともに学校もいってなかった。でも、高校では比較的努力したと思う(センター試験のために努力した人とは比べ物にならないほど語彙がない)努力はしたけれど、学年TOPにもなっていない。ぎりぎりでICUの推薦を頂いたものの、酷く苦労した。当時は、少しずつ話せるようになったと思う。実際、英会話という点で最も良かったのは、アジア学院だった。英語がコミュニケーションのためのツールでしかない。と体感させてくれた。


赤い土とつぶやきの上で
 「アフリカどうだった?」という質問はとても難しい。なんと答えればいいかわからない。きっと、聞いてくる方も、どんな質問をすればいいのかわからないのだろう。「アフリカで何してたの?」と聞かれると、「何もしてない。アフリカを見てきた。」と答える。みんなが期待するようなことは正直、なにもしていない。しようと思ったけれど、そこまで行動しなかったのが事実だ。ただ、身の回りにおこる、シエラレオネの当たり前を見ていた。と言えばいいだろうか。とにかく、アフリカで現実を見れたことは大きい。そして、日本ではできない経験を少なくともできたし、感覚もずれたと思っている。そして、何より旅をした。だから、達成感はないが退学した3つの理由を達せた。


 この2年間で、大きな変化を作り出した基盤は twitter だ。「変化の源はtwitter」というのはもはや月並みな言葉になりかけていて、使いたくない。しかし、事実twitterは大きい。興味の矛先を自分たちで探し合って、かつ繋がれる。出会い系ではなく、「twitter」だ。twitterで出会ってくれた人、批判をくれた人、そして有益なつぶやきやblogを発信し続けてくれる人にはこの場を借りて感謝したい。


 と言いつつも、一週間ほどtwitterを止めていた。その理由は、精神的に不安定だったからだ。しかし、実際はtwitter中毒になっていたと気づいた。一週間前にiphoneからtwitterのアプリを消した。その瞬間とてもすっきりした。本当に。(ちなみにmixiのアカウントは消した) 僕にとって、twitterは出会うため、情報を発信、受信する場所だという認識がある。逆にfacebookを友人達との交流の場と認識している。一週間経って、twitterを再会したのは、精神的にも社会的にも安定したからだ。さて、次からは最近のことを話したい。



デザイン
 アフリカにいる時、自分はデザインをしたいと気づいた。正確な思考のルートはこうだった。
「村に必要なものは何か」
     ↓
「衣食住。その真ん中にアートがある」
     ↓
「食は少し触ったし、衣服は自分じゃない。」

「住を自分のプロフェッションにしよう」
     ↓
「建築をするために自分のアートのスキルをあげたい」
     ↓
「自分に身近なデザインはWebだ」
     ↓
「バイトの面接で落ちたときに、自分がやりたいことを一つ見つけた方がいいと言われる。」
     ↓
「自分がやりたいことは、広告、デザイン、企画だと気づく」
     ↓
「SOURのPVを思い出して、これを作れれば、面白いことになるのではないかと思う。」
     

 こんな流れでインタラクティブデザイナーになろうと決めた。そして目指すクリエーターは川村真司さん。Webデザインのバイトをしようと思っていたけれど、気持ち良いくらい書類で落ち続けた。シェアハウスも決まっておらず、彼女との関係も悪化。ということで、一週間前は「家なし職なし彼女なし」と嘆いていた。この頃は辛かった。ネットでは評価してくれる人がいたし、自分でも自分がしてきたことに価値があったと信じていた。しかしそれが認められないんだなと被害妄想していた。(ただWebデザインの技術がなかっただけ(笑))


 そんなこんなで、デジタルハリウッドのデジタルコミュニケーションアーティスト専攻に通うことを決めた。技術がないと仕事ももらえないのは当たり前。しかし、何よりも自分がやりたいもの。自分の武器にするものを決められたことは、自分の人生でも大きな意味を持つ。自分の人生のターニングポイントと言える。今年はアルバイトとデジハリに集中して、来年はICUとデジハリのダブルスクールをする予定だ。それが決定したから居酒屋のキッチンでアルバイトとして働こうと決意した。理由はシェアハウスで料理を振る舞いたいから。最初は皿洗いしかできないけれど、皿洗いさえも楽しみなバイト前日だ。


 今、大学で学びたいことはいくつかある。平和研究、開発研究、情報科学だ。実際、自分の基礎学力は酷く低い。だから、高校の勉強をやり直してい所だ。だから、今年は、デジハリ、一般教養、シェアハウスを中心に生活する予定だ。以上、中間報告でした。


以下、SOUR×MASASHIKAWAMURA

面影の先
日々の音色
移し鏡

2012/04/10

シェアハウスの陣





一言言いたいことはこれです。「シェアハウスするのは難しい!」色んな点で妥協すれば、どうにかなるとは思う。でも、今はまだ妥協しない。今はとにかくできることをやってみるしかない。

シェアハウスって、僕ら界隈、つまり年代的には ありえないこと ではないんです。事実、している人はいる。ただ、人数が増えると難しかったりする。大家さんや管理会社は僕らとは年代が違うし、常識が常識ではない。だから僕らは非常識と呼ばれてしまう。そもそも、常識なんてものは国、県、街、年代で変わってしまう。つまり、常識とか世間一般というものは、その人界隈の情報でしかないわけですよね。そんな人々と暮らしたり、ビジネスをしたり、何かを交渉するということは、相手側のバックグラウンドを理解しないと難しい。交渉する方(シェアハウスだと僕ら)は、頭を使わないといけない。頭を使っても、読み取れない常識もあったりする。だから、難しいんですよね。



正直なところ、このシェハウスプロジェクトはストレスになります。もちろん、お仕事をしてらっしゃる方は毎度毎度そんなストレスを抱えているのだと思います。だから、不動産で僕の担当をしているOさんには気を使っていますし、気を使っていても、意外な所でストレスをかけていると思うわけです。不動産をいくつも回ったり、不動産の人にこれだけの身内ネタを話すというのは初めての体験。まだ、僕らはシェアハウス決定していませんが、これが決定した時の僕らの喜びが、Oさんの喜びを作るんだなと思いました。


僕はシェアハウスをして自分の空間を持ってみたいんです。人の出入りもきっとあるでしょう。ただ、ここが自分の場所である。というのを持てる事、つまり、HOUSEを持てる事って確かに重要なことで、それぞれの人生に多大な影響を与えるんですよね。僕の人生を大きく変えたのも、高校の寮生活だったと昨日認識しました。大半の人は複数の人と住む事はあまりないと思います。それに、寮生活をした人が再び、長期の複数の人と住む事(家族以外)をする人も少ないと思います。今は増えてきていると思いますが。


ただ、アフリカに行って思う事は、昔は複数の人と住んでいたんですよね。もちろん、家は別々だったとしても、その家と家の近さがあったし、井戸を共有していたと思うし。複数の人と住む事ってストレス、つまり精神的負担があるとは思います。でも、きっと楽しいと信じています。きっと楽しい。ただ楽しいだけじゃなくて、仕事もできると思うし、色んなアイデアも出てくると思います。でも、何よりも、楽しさというか、「幸福」に繋がるんじゃないかなと思うんです。

2012/04/02

おじいちゃんとおばあちゃん

3月28日にNPO法人UbdobeのWell CONというイベントに参加してきました。簡単にどんな場だったかというと、「食べて、飲んで、学んで、話して、出会って」 という、用は、ソーシャルグッドな合コンでした! 何故、このイベントに参加したかというと、この団体の事務局長である@_tomomi_さんが高校の先輩だからです!(どどん!)いやー。こんな面白いことをしている先輩がいて僕は幸せです。tomomiさんは僕の二つ上の先輩でした。高校一年生のときの三年生って凄く違う存在に見えたりするものですよね。その中でもtomomiさんはもう、女神ですよね。今でも女神です。はい。ということでそろそろ自重して本題に入ります。

流れとしては、
1. 福祉施設従事者の対談
2. ワールドカフェ
3. フリータイム
でした。

 ワールドカフェとは何かというと、ミーティングにあるような固い雰囲気ではなく、柔らかい雰囲気でアイデアを広げていこう。という話し合いの方法なんです。詳しくは検索してみてください。秋田県由利本荘市という僕の街があるのですが、そこでイベントを開く際にワールドカフェを二度行いました。しかし、参加は初という事で積極的に話させて頂きました。


 そのテーマの主旨は「おじいちゃん、おばあちゃんの幸せとは」でした。
このワールドカフェで出てきたのは、大きく分けて2つです。


1. 自分たちの幸せとは。
2. おじいちゃん、おばあちゃんの幸せとは。


そして出てくるワードはこの3つでした。

1. 共有(つながり、笑い、)
2. 健康
3. お金(年金)


このワールドカフェで僕が感じたことを羅列だけして
読者の皆さんに、このテーマについて考えてもらいたいです。


・幸せといったら、僕はすぐに引用したい言葉が、"Happiness only real when shared"なんですね。何度も出していますね。そう。「幸福は共有したときのみ現実となる。」です。

・WHOの健康の定義にも出てきますが、健康は、身体的な意味だけではなく、精神的、社会的にも満たされているということを指すことは頭に入れておきたいですね。

・「家」の存在って大きいと思うんです。家、帰れる場所、が精神の安定を司っていることってありませんか?高齢者になると、グループホームがありますが、そういう意味もあると思います。


さて、皆さんは、どんなおじいちゃん、おばあちゃんになりたいですか?
そして、そのためにはどんなシステム、環境が必要でしょうか?


NPO法人 Ubdobe
site
Ubdobe
twitter
@Ubdobe_jp

2012/03/22

彼氏と彼女。





海の男
 二人の関係が人それぞれであることは、周知の事実だと思う。ただ僕も含めて、二人の関係が内向的なんじゃないかなと思った。なぜそう思ったのかというと、某友人同士が最近付き合った。二人とも大事な友人なのだ。片方は、高校時代に尊敬し、追いかけていた行動&ナチュラル系の海男。もう一人も僕が随分仲の良かった友人。(一応、彼女の説明は控えておく)

 海男の方と電話して彼が僕に伝えた言葉はこうだった。


「俺らの関係って、純とか他の友人があってこその関係なんだ。末長く、俺らの関係が長く続きますように。って感じじゃなくてさ、俺ら二人と純や他の友人の関係がこれからも末長くよろしくお願いしますって感じなんだよ!」


西欧のカップルやその友人同士の関係がどんなものか知らない。だから文化的な比較を持ち出すことはできない。ちなみに、アフリカで見た友人のカップルと友人の関係は良好だったと思う。しかし、親は子供が付き合うことに厳しい印象を受けた。その点、この友人たちは親とご飯を食べたりといい関係を築いていたようだった。


ブータン
 今、たまたまNHKのブータン特集を見ている。この番組が言いたいことは、幸せとは何か、物質的幸福と精神的幸福についてだと思う。アフリカでも感じたことだけれど、「コミュニティと共有」は精神的幸福を生み出すのに重要な役割を果たしていると思う。このコミュニティとはmixiとかfacebookのコミュニティではない。地域的なもの、精神的なつながりのものだ。もちろん、ネットワークの中に精神的な繋がりがあるとは言わない。しかし、顔を知っているものとそうでないものに大きな差があることは理解していただきたい。 さて、ここでまた第s期菜映画に出てくる言葉を引用したい。そう、into the wild の言葉だ。


Happiness only Real when Shared
幸せは共有した時のみ現実となる



 この共有について強く感じたことが一度会った。それはシエラレオネから出発する前の話だ。出発前日に毎日遊んでいた子供達にソフトドリンクを合計20本買ってあげた。正直、お金がなかったのでソフトではなかったのだけれど。その時は支援などという気持ちはなくて、ただ去る前に共有した。もちろん、お金がなければそんなことはできない。そんなことを考えながらシェアハウスを作っていきたいと思っている。

+α
 さて、これらを踏まえて彼氏彼女について考えてみたい。最初に述べたように、これはひとそれぞれの話であくまで僕がいいなと思っただけである。 もはや、デートというものをしなくてもいいのではないかと思う。極論だ。二人の共有する時間というものは、結局は、性的欲求の解決に繋がると勝手に思っている。(僕がそうだから)もちろん、ゼロにしようとは言わない。ただ、二人の時間、共有する時間に変化があってもいいのではないかと思う。つまり2人の時間+Somebodyということだ。


そこに「+α」が入ることでマンネリ化した関係を解決できる可能性もあるかもしれない。そんな解決策としても適しているかもしれない。少し、個人的な話になりすぎたが、兎に角、彼らの幸せで僕は羨まし過ぎて、いらついたりもしたが、彼らの幸せそうな写真が僕に幸せを与えてくれた。 幸せとは何なのか 考え続けたい。

2012/03/20

海にいる二人


こんばんわ。

今日はお彼岸ということで、お墓参りに行っていました。そもそも、お彼岸とは何なのか、親に聞いたのですが理解していないので調べてみました。

お彼岸と検索するとすぐ良いサイトが出てきました。こちらの黒門アカデミーさんから情報をいただきました。お彼岸についてはこちらに情報が詳しく乗っていました。


お彼岸とは

 
春分、秋分の日を「中日」と呼び、その前後一週間をお彼岸の期間として、最初の日を「彼岸の入り」最後の日を「彼岸の明け」と呼びます。彼岸とはその名の通り「岸の向こう」。その向こう岸とは悟りの世界のことです。様々な苦に悩む煩悩の世界(此岸)に対する言葉ですが、日本の特に浄土系の信仰では一般に死後は阿弥陀如来の導きにより人は彼岸に渡ることができる、と考えられているため、既に彼岸の世界へ行った人たちを供養するとともに、まだ辿り着けずにいる人たちに早く向こうへ辿り着けるように祈る、というのがこの彼岸の仏事の趣旨となります。

だそうです。


 うちの母親はキリスト教徒で、僕は高校、大学とキリスト教のプロテスタントという宗派側です。アフリカを旅していたときはイスラム教の人と暮らしていました。どの宗教もとても面白いと思うので、ふと疑問を持ったら聞いてみるといいかもしれません。日本は情報が溢れています。なのでアフリカの友人たちのように一つの宗教に対して盲目な信仰は難しいと思います。そんな僕は、何か大きな存在が在るとは思っています。それを神、ゴッド、アッラーと人々は呼び名をつけたのだと思います。


 その後に、先日会った友人の二人と由利本荘市の羽後本荘駅すぐ近くにあるという喫茶店に行って来ました。とても、雰囲気が良くて本格派の喫茶店です。店の前には、電子機器の使用を控える張り紙があります。コーヒー一杯の時間くらいは隣人との繋がりを大事にしましょう。という張り紙なんです。とても素敵です。由利本荘でフェスティヴァルやトリエンナーレを開催するときには、そのお店もひとつの拠点だと思っています。


 さて、彼らは僕にとってとても重要な友人たちです。正直なところ、僕の話を理解してくれる地元の友人はとても少ないです。そもそも、僕に友人が少ないということもあります。例えば、町おこしの一貫として「由利本荘かふぇ」を開くから是非きてね!という電話をしても「明日何もないけど、いけるかわからない」と言われ、結局来てもらえません。それは僕の人徳のなさが理由でもあります。そんな僕を慕ってくれるこそ、大事な友人です。

 
 今日の写真は僕のギターです。これは僕の4つ目のギターになります。一つ目は、買って一ヶ月ほどで間違えて壊してしましました。2つ目のギターは、旅にでる際に大きすぎたので友人に売りました。3つ目のギターは一昨年、ガーナから帰国する際に飛行機の中で壊れてしまいました。そしてこれが4つ目のギターになります。1万円以下だったのですが、音も悪くないので愛用しております。そんなギターと久しぶりに曲を作りました。その曲というのも、友人2人へ向けた曲です。彼ら2人とも僕の大事な友人だったのですが、最近カップルになってしまったんです(笑)共通の友人と一緒に、「これは曲をつくるしかない!」ということになり、先程、5分くらいでシンプルな曲を作りました。ということで短い歌詞ですが、それを載せて今日は終わりたいと思います。


海にいる二人/石川純

わたしたち、海の砂浜で
はしゃぐことなく風を。

あなたの汗臭い無防備さが
何よりも私を救ってくれる
あなたは海と空と風

僕はこの街をこの歩き方で歩むけれど
君がそれについてこれるだろうか
振り返ってみると、君が横にいる。

わたしたち、海の砂浜で
はしゃぐことなく海を。

グルーブ、海、夜の星空、砂の音
犬が吠えた。

2012/03/19

[エッセイ]Monster from WEST

町並み
前回の記事でセネガルについて少し触れた。セネガルの発展、統治の度合いはアフリカ大陸でも比較的高い。道路の奇麗さ、建物の大きさや奇麗さ、マーケットが整理されている点など、多くの点が上げられる。比較として一度訪れたガーナをあげたい。アフリカの扉の一つであるガーナの方がセネガルよりもGDPは高い。しかし、インフラや街並みの綺麗さはセネガルがこれから伸びるだろうと思わせた。今回は、セネガルの土台にある西欧化というモンスターについて触れたい。


前の記事でも書いたが、バスに番号がついている。道路整備が美しい。ファーストフード店が多い。更に、24hのコンビニも見た。人々の服装はイスラム系の服を持っている人は多いが、寒さも起因して比較的暖かい格好をしている人が多い。そのファッションは明らかにフランスから降りて来ている。テレビではパリコレクションならぬ、ダカールコレクションのようなものを放送していた。芸術村に訪れた写真をアップしたが、結局はそれもフランス的な価値観が入り込んできているからであることは明確だ。



隠れているわけではないが Monster form WEST がどれだけ大きいかを示したのは携帯会社だ。現在セネガルでは二つの会社が携帯ネットワークマーケットのシェアを持っている。しかし、一つは広告下手なのか、資本がないのかはわからないが消えていくのがわかる。ちなみに、その携帯会社はシエラレオネで他の携帯会社に買収されている。モンスターの角はセネガルのもう片方の携帯会社Oだ。このO社は2012年に行われたANC(African Nations Cup)の大きなスポンサーだった。ANCはアフリカで行われる国対抗のサッカーの大会だ。O社の名前はスタジアムのど真ん中の宣伝枠に入っていた。そして大会が終わり(優勝はザンビア)表彰式となると、各会社がMVPなどを表彰する。O社の代表もトロフィーを選手に渡していたが、完全にヨーロッパ人だった。O社は英語圏では見なかったが、ギニア、セネガルで見た。よって、フランスの会社だろうと推測できる。


セネガルでは巨大なフランスが動いている。そのおかげで、セネガルでは欲しいものが手に入る。住める家も劣悪ではない。ただ、少しばかり西欧的な、先進国的なシステムがある。例えば、家に蛇口がついていたり、水洗トイレなので水道代を払わなければならない。(シエラレオネ、ガーナの一般的な家にはない)少々物価が高い。少々家賃も高い。セネガルに挟まれているガンビアという国が在る。そこからは多くのガンビア人がセネガルへと出稼ぎにくる。ガンビア人の友人はこのセネガルのシステムに対して不満を漏らしていた。「セネガルは高い」と


新植民地主義 Neocolonialism
ここまでの話はそれほど驚きもしない。金がないアフリカのある国にフランスが介入しているのだ。そして、そこに住む人々はそれに気づかない。支配されていることに気づかないし、生活の質 (経済的な面で)が向上している。先進国への憧れはそう簡単には消えない。一般の地方に住む人が東京に対する憧れを消せないのと同じだ。(もちろん両者当てはまらない人はいる)そのシステムに生まれたものではなく、そのシステムに入ってきた人々(ガンビア人やナイジェリア人)はその先進国的なシステムに不満を漏らす。先進国への強い憧れは幻想だというのはわかる。 先進国 = お金なのだ。その方程式の中に、家賃、食費、学費、税金、といったものはついてこない。それはそうだ。知らないのだから。


さて、ここで驚く話をしたい。 アフリカの雑誌でそのことについて読んだあとにスイス人に確かめてみたら、その可能性は十分にあるという話だ。それは フランス人は未だに以前の植民地を自分たちの土地だと思っている ということだ。あえてここは単一化させてもらった。年配の人々がそれを頭では理解しつつも、無意識なレベルで支配感を持っている可能性があることは想像できる。一昨年、コートジボワールでは大統領が二人になってしまったことを背景に短期間の内戦状態に入った。しかし、ここでフランスが(コートジボワールは元フランスの植民地)介入したことで、批判を受けたのだ。


セネガルでは内戦という言葉は随分遠い。だからフランスの軍事的介入と言ってものはない。しかし、経済へのフランスの介入は激しい。町並み にあげたそれらは全てフランスから入ってきたもので、経済的にも文化的にもフランス製の靴の後が無数にあるのだ。それはもう数えきれない。もちろん、これだけフランスの足跡がついているのだからセネガルはフランスとの友好関係を強く保っている。フランスの足跡は一概に悪いものではないし、人々の生活の質を上げているのかもしれない。ただ、あまりのその巨大さにセネガルで怖気付いてしまった。


アフリカらしさ
ナイジェリア人はアフリカ各国に散布されている。理由はわからないがセネガルに滞在した最初の4日間は毎日違うナイジェリア人に会っていた。その中の一人でJICAで働いていた人がいた。このMonster from WESTの話をした。すると彼はこう言った。

「セネガルは中央から下のアフリカ各国と違い、西の影響が強いのは確かだよ。セネガルはWEST寄りなんだ。南アフリカは経済的な発展がめまぐるしいけれど、あれはまた別物。ガーナやナイジェリア、ケニアの経済発展は黒いね。WESTの介入がセネガルと比べて激しくない。ただセネガルは違う。WESTなんだ。」

アフリカに興味ない人は北アフリカとその他のアフリカが少々異なることを知らないだろう。簡単にいえば北アフリカはアラブ色が強く、黒人も多くはない。セネガルの北にはモーリタニアがあり、イスラム統治国家だ。セネガルの下には以前のブログに書いたギニアがある。セネガルはブラックアフリカと北アフリカの間に位置しながら、フランスとの友好関係を保っている。だから、インフラ整備がブラックアフリカの中で斗出しているのだろう。


ここまで来ると、どれがセネガルらしさなのかわからない。特に強く感じたのは芸術村に行った時だ。そこには数十人のアーティストが住んだりアトリエにして生活している。しかし、そのアートをはじめる概念だったりベースはフランスから来ている。もちろん、作品は素晴らしかったしアフリカ的だなと感じた。そう考えてみると、何がアフリカらしさで、その国らしさなのだろうか。シエラレオネにいるときに「米が主食だ」とよく言われていた。しかし彼らの元々の主食は米ではないはずだし、そもそも彼らが食べている米の大半は輸入品だ。


カランコロンと音がなる新宿
読者の一部はお気づきかもしれないが、日本も同じようなものである。なぜ、欧米に対して憧れを持ってしまうのだろうか。少なくとも筆者は持っていた。しかし、帰国する前に気づいたことは、東京クオリティは世界一であるということだ。そしてトイレクオリティも世界一だ。しかしその根っこは西欧に帰属している。この記事を終わらすために 西欧化 ならぬ 東亜化 という言葉を考えたりもした。しかし、しっくり来なかった。


僕はアフリカにいる際、下駄を履いたり和服を着たりして歩いていた。もちろん、洋服も持っていた。そこで驚いたことはモーリタニアの人々の服装だ。他のイスラム教国を知らないので一面的な驚きではあったのだが、彼らは彼ら独自の服を着ていたのだ。(イメージ的には陰陽師)和服や下駄だけを身につけることは筆者もしない。しかし、和服や下駄を見につけて東京にカランコロンと音を立てる人が増えても良いのではないかと思っている。




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あとがき
この記事と昨日、 @yuuu_aoki と話したことが少し繋がったので、書いておきたいと思います。今まで、僕はイノベーションという言葉が好きではなかったんです。イノベーションが嫌いというわけではなく、自分はそういうことには関係がないと思っていました。何故なら、twitterにも書いていますがいずれは村を作りたいからです。村づくりとイノベーションは真逆にあるものと考えていました。しかし昨日、青木くんと話していて、システムを作りなおすこと、新たなインフラを創り上げることはイノベーションなのだと気づきました。遅いです。ごめんなさい。恥ずかしいです。


ここで、この記事に繋がりますが、今、西欧化が進んでいる中で日本らしいものを再び掘り起こすシステムやインフラを作ることも、イノベーションと呼べるはずです。ならば、僕はそういうシステムに力を注ぎながら村をつくろうと思います。オーガニックイノベーション とか名付けたらかっこいいですね。でも、何でもオーガニック付けるの好きじゃないんです。はい。

2012/03/17

ろーりんぐろーりんぐ

モロッコ、マラケシュのタイル


髪を変えた。

旅中の8ヶ月は自分で切っていた。こんな髪型にしたいとか、色々考えた。そして帰国して、雑誌を読んだりしているうちにパーマをかけることにした。僕が髪を切る時は、毎回従兄弟の美容院にいく。だから今日もいった。


髪を切られながら、切られた後の自分を鏡で眺めて思った。


いずれのびるじゃないか。
両目の大きさ違うじゃないか。
イメージと違ってもいいじゃないか。


結果、自分の顔の印象を気にしていた中学、高校時代よりもいい意味で鈍感になった。自分のファッションレベル、チャーミングさ、魅力は確かに外見に滲み出ると思う。自分は多くの服を持っていないけれど、自分が好きな服をシンプルに着こなしたい。そう思うようになった。


何事に対しても、自分の哲学、拘りが出てきて、尖ったり丸くなったり、平べったくなったり。


いざ、パーマをかけてみると、楽しいな。と感じた。今までとは全く違う印象になった自分が好きにも慣れた。ファッションは自分を好きになるためのツールでもある認識した。


実際、新しい髪型の自分、新しい印象の自分をFBやtwitterにあげるのはワクワクした。自分の感動を伝えたかったんだと思う。



ということで、また少し自分を好きになれた。


Jun