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2011/07/23

ガーナの牧師とミスチル

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牧師からスピリチュアルなパワーをもらう為に信徒が一列に並んでいた。大きな教会の中で大勢の人が礼拝に来ている。バックバンドはドラム、ジャンベ、ギターと女性コーラス2人、男性コーラス1人。牧師の周りには7人ほど男性が立っていた。信徒は牧師に額を押されて後ろに倒れ、それを牧師周辺の男性が支える。そして次の人が牧師からスピリチュアルなパワーを...というのが基本的な流れだ。額を押された後に興奮状態になる人も多かった。跳ねたり回ったりして倒れるためそれを防ぐために牧師周辺の7人の男性はバリアを貼っているようだった。牧師もハイになって来たのか、だんだんSHOWみたいになってくる。両手を開いて足を細かく動かして前進しながら信徒を追い詰め始めた。逃れる信徒は最終的にスピリチュアルパワーで翔ぶ。そうこうしていると、牧師が時計を見た。その後、牧師は明らかに短縮バージョンでその行為続けた。



家に帰ってからその教会のドラマーであるサミから説教を受けた。


彼らと話していると、クリスチャンである理由は地獄ではなく天国に行きたいという理由が強い今後のことがわかる。クリスチャンだけが天国にいけるという思考。この思考に疑問を覚える。全ての人に愛、許し、天国への可能性を与えるからこそ絶対的な神なのではないか。差別する神は神でも何でもなく、それこそサタンなのではないか。とさえ思ってしまう。私の宗教観は横に置いておこう。


ガーナではスピリチュアル、宗教に属していることがアイデンティティの大きなウエイトを占めている。教会、モスクの数はとてつもなく多い。毎日、イスラム教の放送とキリスト教のゴスペルがアクラの空気を震わせている。礼拝も日曜日だけではなく、週に三回は平均してあるだろう。ゴスペルの練習はまた別だ。キリスト教もイスラム教も毎日の祈りは欠かさないのだろう。


彼らは時間があるのだ。逆に言えば働いていないのだ。教会にいる女性率は高く、男性の率は低い。男性、労働者は教会にこれない。非労働者は時間が有り余っているから教会で賛美をする。つまりこうだ。週に何度礼拝保てるかと、経済的な発展は反比例している。しかし、彼らは憧れていたJAPANに来ると、こう言うだろう。「彼らは時間がないのだ。」直接言われたことはないが、日本人は地獄に行くと思っているかもしれない。


宗教に使う時間の多さ、ウエイトの高さが経済発展の重りになっているのだとしたら、彼らはどちらを選ぶだろう。もちろん、経済発展したからといって宗教へのウエイトが低くなるわけではない。しかし、教会にいく時間、ゴスペルを歌い続ける時間はなくなる。ゴスペルを歌い続けられるビジネスでも探すだろうか。


ビジネスの面から牧師を見てみよう。彼が本当にスピリチュアルであるかは置いて置いて、そう見せるスキルがある。少し違う職業だがMr.children の桜井さんとでも言おうか。牧師は毎日ゴスペルを歌い、週に3度SHOWをすればいいのだ。毎日働いているし、神と信徒を繋げるために綺麗な服を買わなくてはいけない。宗教のウエイトが高い国であるから、名声、名誉も高く得られる。牧師。何ともニーズの高く経済的にも優秀な職業だ。


Mr.childrenの桜井さんを挙げたが、音楽のライブはそれらの宗教に近い。去年訪れた教会ではバンドのゴスペルに合わせて、体を揺らしていた。(僕からすれば踊っていた)そして、ある言葉を牧師が発すると、信徒が揃って「ジーザース!」と叫ぶ。彼らは神のエネルギーを体に注入するため、バンドに合わせて歌うし踊る。それが一週間の糧となるわけだ。ガーナの光景と似ている光景ををどこかで見たことがあると思った。それはMr.Childrenの武道館ライブで飛び跳ねるファンと、高校の卒業ライブでノイズ系?アンダーグラウンド系の音楽(ゴオオオオーって叫ぶやつ)でヘドバン(頭を大きく上下させる)する僕らだった。


音楽が宗教の役割をしているのではないか。讃美歌は聖書の物語が元になっているが、歌詞は聖書のみ言葉の役割を担っている。歌を歌い、聞くことで生きる力が得られる。神からの言葉かどうかは置いておいて、音楽が生きる力を養う役割をしていることは確かだ。宗教は人が生きるを支えるものだとするのならば、音楽や映画、文学、つまり芸術は宗教の役割をしている。古くに記された書物が何かの糧になることは否定しない。しかし時代は動き続けそれらの書物だけで生きることは困難だ。


躍学。
僕は今を生きている。
今を生きるために既存の宗教に属さないことで、
地獄に行かなくてはならないのだとしたら、
地獄でも構わない。
僕は今を生きている。


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