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2012/02/11

付加価値をつける路上の子供

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児童労働。それは一種の問題とされている。理由は子供には教育を受けさせるべきで、幼い頃から働かせるのは子供の権利に反するといった理由だろう。シエラレオネ、ガーナの道路では多くの人々が路上販売をしていて、食べ物、飲み物、時計、服、電化製品など様々な持ち運びができる物が売られている。割合としては少ないがその売り子の中には小学生程度の子供も含まれる。彼らがそうして働くのはどういう意味合いだろうか。児童労働が一概にネガティブではないこと、シエラレオネのシステム、子供の環境について書きたい。

先に断っておくが、この記事はあくまで筆者が見た主にシエラレオネの一面でしかないことを理解していただきたい。より悲惨な環境の子供やより多くの問題が存在する可能性を否定出来ないからだ。

1.この売り子とはどんなものか
▶年齢
最も多いのは、20-30代。
小学生程度の少年の割合は極めて一割程度の程度だ
中学生程になると割合が増す。
逆に50歳程度で新聞を売る人もいる。
▶性別
歩く売り子の大半は男性が多い。シエラレオネのメインロードとなると女性は道に座って商品を道に広げている場合が多い。しかし、市場となると男性はめっきり減る。売り手買い手どちらも女性が多い。
▶容姿
写真のように両手で商品を持つ場合もあるし、頭で運ぶこともある。バス停辺りに小さな露店で売る場合もある。
▶商品
飲水、ソフトドリンク、パン、バナナ、ピーナッツ
電化製品、携帯電話、携帯電話の装飾品、教科書やノート
▶価格
水やパンなど一部の商品はマーケットの値段が決まっている。
値段が決まっていないものは個々人で値段を決められる。

2.ポジティブな面
a.付加価値
売り子の最大のポジティブな面は付加価値をつける感覚を学べることだ。それだけではなく、この実践ビジネスが値段交渉や英語の勉強にもなる。日本で20年生活して来たが「ものに付加価値をつけて売る」は未経験だった。それが身の回りで当たり前に用に存在して、自分は小さいながら消費者だったのにも関わらず。堀江貴文氏は幼い頃から付加価値をつけて売る感覚を身につけていたようだが。

「ものに付加価値をつけて売る」その視点を持つ持たないでは随分、社会の見方が変わる。例えば電化製品を買うケース。高価な商品になればなるほど、値段が増されている。その分、値切ることもできる。日本のあらゆる店に置いてある商品は値段が決まっているが、僕がいる国となるとほとんどの商品は値段が決まっていない。どれだけ量増しできるかが、売り手の焦点なのだ。

b.会話
売り子は客との会話が重要な場合がある。街で筆記用具を売る14歳話したが、英英会話能力の高さに驚いた。シエラレオネの公用語は英語となっているが、実際に英語を話せる子供は少ない。ホームステイ先の14歳は学校にいっているが、先に述べた少年ほど英語を話せない。余談だが、近所にくる英語の先生の発音はどこ英語なのかよくわからない。

c.例
現在、一緒に過ごしているアブラマンという若者も幼い頃に売り子をしていた。その経験を活かし、数台の携帯電話を売ることに成功し、それなりの収益を得たりこともある。今となっては、値段交渉のスキルはビジネスの上で十分通用する。(シエラレオネの範囲でだが)もちろん彼は良い例で、一概にポジティブとも言えない。


3.システム
児童労働のからいったん離れて、その周辺のシステムを考え直したい。

a.教育面について
シエラレオネの小中高のシステムは日本と同じだ。しかし学校は午前か午後のどちらかに分けられている場合が多い。部活が存在するわけではないので、その半分は遊んだり物売りをする。

アカデミックになると教養よりもビジネスに直接繋がる教育に偏っている。シエラレオネの多くの専門学校は一般教育や社会科学よりもビジネススクールやパソコンスクールなどに偏っている。就職口が少ない状況なのでビジネスを直接学ぶことに偏るのは仕方がない。更に、卒業したからといって、就職できるわけでもない。(しかも、卒業したといっても、あれこれできると嘘をつく人間の存在も記しておきたい)西アフリカ全土にまたがるセンター試験的存在の""もあるが、ハイレベルの大学に行くほど勉強に力を入れる学生は少ない。そこに金をかける親といったら、政界か、それなりの規模のビジネスマンだけだろう。

b.デザイン面について
マーケットはデザイン性の欠片もない。例えば、店舗の前の道路に売り子が座っていたり、商品を広げている。それは交通妨害で、歩くのもやっとだし、車なんて来たら大変なことになる。歩道での商売は許可し、車道での商売を禁止し、より広い場所をマーケットとして設置するとすっきりするだろう。

c.物価について
食に必要な金と言えば、一食100円で贅沢な方だ。40円あればご飯をたらふく食べられる。つまり、売り子の収益で一日を生きることは無理ではない。その安さが売春にまで響いている。質は悪いが100円でできる場合もある。(自分は買っていないが、ご近所さんに売春婦がいてその噂話で市場を聞いた。)この物価の安さから、ヨーロッパ、アメリカで仕事をする人間が一万円ほど彼らの祖母に仕送りすればどんな孫でも食べていける。


4.子供の環境
子供は奴隷に近い場合もある。洗い物や洗濯、様々な家事は子供がやる。特に少女。下手をするとかなり勉強の時間を削られる。個人スペースは存在せず、周りの子供や大人も勉強の邪魔をする。といっても、勉強熱心なわけでもない。その有り余った時間を(学校をサボった時間も含め)楽しむためには金が必要になる。そこで路上に出る。


5.結論
そもそも、シエラレオネのシステムと日本のシステムを比べることは非常に難しい。アフリカで生きるために教育が必要かといえばなんとも言えなくなる。奥深くの農村地域の生徒に素晴らしい教育を受けさせても、大半の子供は街に出ることを望むだろう。日本人の勤勉さや社会構造が自殺者を生み出しているように、アフリカのゆるさ(怠惰性)や共有する意志が児童労働を生み、かつそれを救っている。

彼らからすれば、先進国の人間の働き様といったら奴隷以上だと冗談を言う。経済発展を望みながら先進国のNGOが何かしてくれるのを待って開墾に力を入れない。仕事がないと愚痴りながらマンチェスターユナイテッドのゲームを見に行く。勉強なんぞせずに、選手の名前と試合結果だけ記録して行く。逆にテレビ局とサッカーバーは儲かる。

シエラレオネの様々な問題(福祉、農業、教育等々)を解決するにはまず国家の収入を増やす他ないのかもしれない。政治家は自分の懐だけを肥やそうとしている。と多くのシエラレオネ人が愚痴をいうが、果たして、どれだけの人間がシエラレオネのGDPの伸びを理解しているだろうか。そんな彼らが自分の子供を政治家にしてやるなんて考えは出てこない。ましてや、毎日遅くまで勉強させるとか、読書のための本を買うなんて考えは程遠い。


商品と一緒に日々何キロも歩いて商品を売る
それが生きる術なのだ。


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