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2012/03/22

彼氏と彼女。





海の男
 二人の関係が人それぞれであることは、周知の事実だと思う。ただ僕も含めて、二人の関係が内向的なんじゃないかなと思った。なぜそう思ったのかというと、某友人同士が最近付き合った。二人とも大事な友人なのだ。片方は、高校時代に尊敬し、追いかけていた行動&ナチュラル系の海男。もう一人も僕が随分仲の良かった友人。(一応、彼女の説明は控えておく)

 海男の方と電話して彼が僕に伝えた言葉はこうだった。


「俺らの関係って、純とか他の友人があってこその関係なんだ。末長く、俺らの関係が長く続きますように。って感じじゃなくてさ、俺ら二人と純や他の友人の関係がこれからも末長くよろしくお願いしますって感じなんだよ!」


西欧のカップルやその友人同士の関係がどんなものか知らない。だから文化的な比較を持ち出すことはできない。ちなみに、アフリカで見た友人のカップルと友人の関係は良好だったと思う。しかし、親は子供が付き合うことに厳しい印象を受けた。その点、この友人たちは親とご飯を食べたりといい関係を築いていたようだった。


ブータン
 今、たまたまNHKのブータン特集を見ている。この番組が言いたいことは、幸せとは何か、物質的幸福と精神的幸福についてだと思う。アフリカでも感じたことだけれど、「コミュニティと共有」は精神的幸福を生み出すのに重要な役割を果たしていると思う。このコミュニティとはmixiとかfacebookのコミュニティではない。地域的なもの、精神的なつながりのものだ。もちろん、ネットワークの中に精神的な繋がりがあるとは言わない。しかし、顔を知っているものとそうでないものに大きな差があることは理解していただきたい。 さて、ここでまた第s期菜映画に出てくる言葉を引用したい。そう、into the wild の言葉だ。


Happiness only Real when Shared
幸せは共有した時のみ現実となる



 この共有について強く感じたことが一度会った。それはシエラレオネから出発する前の話だ。出発前日に毎日遊んでいた子供達にソフトドリンクを合計20本買ってあげた。正直、お金がなかったのでソフトではなかったのだけれど。その時は支援などという気持ちはなくて、ただ去る前に共有した。もちろん、お金がなければそんなことはできない。そんなことを考えながらシェアハウスを作っていきたいと思っている。

+α
 さて、これらを踏まえて彼氏彼女について考えてみたい。最初に述べたように、これはひとそれぞれの話であくまで僕がいいなと思っただけである。 もはや、デートというものをしなくてもいいのではないかと思う。極論だ。二人の共有する時間というものは、結局は、性的欲求の解決に繋がると勝手に思っている。(僕がそうだから)もちろん、ゼロにしようとは言わない。ただ、二人の時間、共有する時間に変化があってもいいのではないかと思う。つまり2人の時間+Somebodyということだ。


そこに「+α」が入ることでマンネリ化した関係を解決できる可能性もあるかもしれない。そんな解決策としても適しているかもしれない。少し、個人的な話になりすぎたが、兎に角、彼らの幸せで僕は羨まし過ぎて、いらついたりもしたが、彼らの幸せそうな写真が僕に幸せを与えてくれた。 幸せとは何なのか 考え続けたい。

2012/03/20

海にいる二人


こんばんわ。

今日はお彼岸ということで、お墓参りに行っていました。そもそも、お彼岸とは何なのか、親に聞いたのですが理解していないので調べてみました。

お彼岸と検索するとすぐ良いサイトが出てきました。こちらの黒門アカデミーさんから情報をいただきました。お彼岸についてはこちらに情報が詳しく乗っていました。


お彼岸とは

 
春分、秋分の日を「中日」と呼び、その前後一週間をお彼岸の期間として、最初の日を「彼岸の入り」最後の日を「彼岸の明け」と呼びます。彼岸とはその名の通り「岸の向こう」。その向こう岸とは悟りの世界のことです。様々な苦に悩む煩悩の世界(此岸)に対する言葉ですが、日本の特に浄土系の信仰では一般に死後は阿弥陀如来の導きにより人は彼岸に渡ることができる、と考えられているため、既に彼岸の世界へ行った人たちを供養するとともに、まだ辿り着けずにいる人たちに早く向こうへ辿り着けるように祈る、というのがこの彼岸の仏事の趣旨となります。

だそうです。


 うちの母親はキリスト教徒で、僕は高校、大学とキリスト教のプロテスタントという宗派側です。アフリカを旅していたときはイスラム教の人と暮らしていました。どの宗教もとても面白いと思うので、ふと疑問を持ったら聞いてみるといいかもしれません。日本は情報が溢れています。なのでアフリカの友人たちのように一つの宗教に対して盲目な信仰は難しいと思います。そんな僕は、何か大きな存在が在るとは思っています。それを神、ゴッド、アッラーと人々は呼び名をつけたのだと思います。


 その後に、先日会った友人の二人と由利本荘市の羽後本荘駅すぐ近くにあるという喫茶店に行って来ました。とても、雰囲気が良くて本格派の喫茶店です。店の前には、電子機器の使用を控える張り紙があります。コーヒー一杯の時間くらいは隣人との繋がりを大事にしましょう。という張り紙なんです。とても素敵です。由利本荘でフェスティヴァルやトリエンナーレを開催するときには、そのお店もひとつの拠点だと思っています。


 さて、彼らは僕にとってとても重要な友人たちです。正直なところ、僕の話を理解してくれる地元の友人はとても少ないです。そもそも、僕に友人が少ないということもあります。例えば、町おこしの一貫として「由利本荘かふぇ」を開くから是非きてね!という電話をしても「明日何もないけど、いけるかわからない」と言われ、結局来てもらえません。それは僕の人徳のなさが理由でもあります。そんな僕を慕ってくれるこそ、大事な友人です。

 
 今日の写真は僕のギターです。これは僕の4つ目のギターになります。一つ目は、買って一ヶ月ほどで間違えて壊してしましました。2つ目のギターは、旅にでる際に大きすぎたので友人に売りました。3つ目のギターは一昨年、ガーナから帰国する際に飛行機の中で壊れてしまいました。そしてこれが4つ目のギターになります。1万円以下だったのですが、音も悪くないので愛用しております。そんなギターと久しぶりに曲を作りました。その曲というのも、友人2人へ向けた曲です。彼ら2人とも僕の大事な友人だったのですが、最近カップルになってしまったんです(笑)共通の友人と一緒に、「これは曲をつくるしかない!」ということになり、先程、5分くらいでシンプルな曲を作りました。ということで短い歌詞ですが、それを載せて今日は終わりたいと思います。


海にいる二人/石川純

わたしたち、海の砂浜で
はしゃぐことなく風を。

あなたの汗臭い無防備さが
何よりも私を救ってくれる
あなたは海と空と風

僕はこの街をこの歩き方で歩むけれど
君がそれについてこれるだろうか
振り返ってみると、君が横にいる。

わたしたち、海の砂浜で
はしゃぐことなく海を。

グルーブ、海、夜の星空、砂の音
犬が吠えた。

2012/03/19

[エッセイ]Monster from WEST

町並み
前回の記事でセネガルについて少し触れた。セネガルの発展、統治の度合いはアフリカ大陸でも比較的高い。道路の奇麗さ、建物の大きさや奇麗さ、マーケットが整理されている点など、多くの点が上げられる。比較として一度訪れたガーナをあげたい。アフリカの扉の一つであるガーナの方がセネガルよりもGDPは高い。しかし、インフラや街並みの綺麗さはセネガルがこれから伸びるだろうと思わせた。今回は、セネガルの土台にある西欧化というモンスターについて触れたい。


前の記事でも書いたが、バスに番号がついている。道路整備が美しい。ファーストフード店が多い。更に、24hのコンビニも見た。人々の服装はイスラム系の服を持っている人は多いが、寒さも起因して比較的暖かい格好をしている人が多い。そのファッションは明らかにフランスから降りて来ている。テレビではパリコレクションならぬ、ダカールコレクションのようなものを放送していた。芸術村に訪れた写真をアップしたが、結局はそれもフランス的な価値観が入り込んできているからであることは明確だ。



隠れているわけではないが Monster form WEST がどれだけ大きいかを示したのは携帯会社だ。現在セネガルでは二つの会社が携帯ネットワークマーケットのシェアを持っている。しかし、一つは広告下手なのか、資本がないのかはわからないが消えていくのがわかる。ちなみに、その携帯会社はシエラレオネで他の携帯会社に買収されている。モンスターの角はセネガルのもう片方の携帯会社Oだ。このO社は2012年に行われたANC(African Nations Cup)の大きなスポンサーだった。ANCはアフリカで行われる国対抗のサッカーの大会だ。O社の名前はスタジアムのど真ん中の宣伝枠に入っていた。そして大会が終わり(優勝はザンビア)表彰式となると、各会社がMVPなどを表彰する。O社の代表もトロフィーを選手に渡していたが、完全にヨーロッパ人だった。O社は英語圏では見なかったが、ギニア、セネガルで見た。よって、フランスの会社だろうと推測できる。


セネガルでは巨大なフランスが動いている。そのおかげで、セネガルでは欲しいものが手に入る。住める家も劣悪ではない。ただ、少しばかり西欧的な、先進国的なシステムがある。例えば、家に蛇口がついていたり、水洗トイレなので水道代を払わなければならない。(シエラレオネ、ガーナの一般的な家にはない)少々物価が高い。少々家賃も高い。セネガルに挟まれているガンビアという国が在る。そこからは多くのガンビア人がセネガルへと出稼ぎにくる。ガンビア人の友人はこのセネガルのシステムに対して不満を漏らしていた。「セネガルは高い」と


新植民地主義 Neocolonialism
ここまでの話はそれほど驚きもしない。金がないアフリカのある国にフランスが介入しているのだ。そして、そこに住む人々はそれに気づかない。支配されていることに気づかないし、生活の質 (経済的な面で)が向上している。先進国への憧れはそう簡単には消えない。一般の地方に住む人が東京に対する憧れを消せないのと同じだ。(もちろん両者当てはまらない人はいる)そのシステムに生まれたものではなく、そのシステムに入ってきた人々(ガンビア人やナイジェリア人)はその先進国的なシステムに不満を漏らす。先進国への強い憧れは幻想だというのはわかる。 先進国 = お金なのだ。その方程式の中に、家賃、食費、学費、税金、といったものはついてこない。それはそうだ。知らないのだから。


さて、ここで驚く話をしたい。 アフリカの雑誌でそのことについて読んだあとにスイス人に確かめてみたら、その可能性は十分にあるという話だ。それは フランス人は未だに以前の植民地を自分たちの土地だと思っている ということだ。あえてここは単一化させてもらった。年配の人々がそれを頭では理解しつつも、無意識なレベルで支配感を持っている可能性があることは想像できる。一昨年、コートジボワールでは大統領が二人になってしまったことを背景に短期間の内戦状態に入った。しかし、ここでフランスが(コートジボワールは元フランスの植民地)介入したことで、批判を受けたのだ。


セネガルでは内戦という言葉は随分遠い。だからフランスの軍事的介入と言ってものはない。しかし、経済へのフランスの介入は激しい。町並み にあげたそれらは全てフランスから入ってきたもので、経済的にも文化的にもフランス製の靴の後が無数にあるのだ。それはもう数えきれない。もちろん、これだけフランスの足跡がついているのだからセネガルはフランスとの友好関係を強く保っている。フランスの足跡は一概に悪いものではないし、人々の生活の質を上げているのかもしれない。ただ、あまりのその巨大さにセネガルで怖気付いてしまった。


アフリカらしさ
ナイジェリア人はアフリカ各国に散布されている。理由はわからないがセネガルに滞在した最初の4日間は毎日違うナイジェリア人に会っていた。その中の一人でJICAで働いていた人がいた。このMonster from WESTの話をした。すると彼はこう言った。

「セネガルは中央から下のアフリカ各国と違い、西の影響が強いのは確かだよ。セネガルはWEST寄りなんだ。南アフリカは経済的な発展がめまぐるしいけれど、あれはまた別物。ガーナやナイジェリア、ケニアの経済発展は黒いね。WESTの介入がセネガルと比べて激しくない。ただセネガルは違う。WESTなんだ。」

アフリカに興味ない人は北アフリカとその他のアフリカが少々異なることを知らないだろう。簡単にいえば北アフリカはアラブ色が強く、黒人も多くはない。セネガルの北にはモーリタニアがあり、イスラム統治国家だ。セネガルの下には以前のブログに書いたギニアがある。セネガルはブラックアフリカと北アフリカの間に位置しながら、フランスとの友好関係を保っている。だから、インフラ整備がブラックアフリカの中で斗出しているのだろう。


ここまで来ると、どれがセネガルらしさなのかわからない。特に強く感じたのは芸術村に行った時だ。そこには数十人のアーティストが住んだりアトリエにして生活している。しかし、そのアートをはじめる概念だったりベースはフランスから来ている。もちろん、作品は素晴らしかったしアフリカ的だなと感じた。そう考えてみると、何がアフリカらしさで、その国らしさなのだろうか。シエラレオネにいるときに「米が主食だ」とよく言われていた。しかし彼らの元々の主食は米ではないはずだし、そもそも彼らが食べている米の大半は輸入品だ。


カランコロンと音がなる新宿
読者の一部はお気づきかもしれないが、日本も同じようなものである。なぜ、欧米に対して憧れを持ってしまうのだろうか。少なくとも筆者は持っていた。しかし、帰国する前に気づいたことは、東京クオリティは世界一であるということだ。そしてトイレクオリティも世界一だ。しかしその根っこは西欧に帰属している。この記事を終わらすために 西欧化 ならぬ 東亜化 という言葉を考えたりもした。しかし、しっくり来なかった。


僕はアフリカにいる際、下駄を履いたり和服を着たりして歩いていた。もちろん、洋服も持っていた。そこで驚いたことはモーリタニアの人々の服装だ。他のイスラム教国を知らないので一面的な驚きではあったのだが、彼らは彼ら独自の服を着ていたのだ。(イメージ的には陰陽師)和服や下駄だけを身につけることは筆者もしない。しかし、和服や下駄を見につけて東京にカランコロンと音を立てる人が増えても良いのではないかと思っている。




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あとがき
この記事と昨日、 @yuuu_aoki と話したことが少し繋がったので、書いておきたいと思います。今まで、僕はイノベーションという言葉が好きではなかったんです。イノベーションが嫌いというわけではなく、自分はそういうことには関係がないと思っていました。何故なら、twitterにも書いていますがいずれは村を作りたいからです。村づくりとイノベーションは真逆にあるものと考えていました。しかし昨日、青木くんと話していて、システムを作りなおすこと、新たなインフラを創り上げることはイノベーションなのだと気づきました。遅いです。ごめんなさい。恥ずかしいです。


ここで、この記事に繋がりますが、今、西欧化が進んでいる中で日本らしいものを再び掘り起こすシステムやインフラを作ることも、イノベーションと呼べるはずです。ならば、僕はそういうシステムに力を注ぎながら村をつくろうと思います。オーガニックイノベーション とか名付けたらかっこいいですね。でも、何でもオーガニック付けるの好きじゃないんです。はい。

2012/03/17

ろーりんぐろーりんぐ

モロッコ、マラケシュのタイル


髪を変えた。

旅中の8ヶ月は自分で切っていた。こんな髪型にしたいとか、色々考えた。そして帰国して、雑誌を読んだりしているうちにパーマをかけることにした。僕が髪を切る時は、毎回従兄弟の美容院にいく。だから今日もいった。


髪を切られながら、切られた後の自分を鏡で眺めて思った。


いずれのびるじゃないか。
両目の大きさ違うじゃないか。
イメージと違ってもいいじゃないか。


結果、自分の顔の印象を気にしていた中学、高校時代よりもいい意味で鈍感になった。自分のファッションレベル、チャーミングさ、魅力は確かに外見に滲み出ると思う。自分は多くの服を持っていないけれど、自分が好きな服をシンプルに着こなしたい。そう思うようになった。


何事に対しても、自分の哲学、拘りが出てきて、尖ったり丸くなったり、平べったくなったり。


いざ、パーマをかけてみると、楽しいな。と感じた。今までとは全く違う印象になった自分が好きにも慣れた。ファッションは自分を好きになるためのツールでもある認識した。


実際、新しい髪型の自分、新しい印象の自分をFBやtwitterにあげるのはワクワクした。自分の感動を伝えたかったんだと思う。



ということで、また少し自分を好きになれた。


Jun

2012/03/16

バオバブはファーストフードの中に

どうもやごです!





昨日は秋田の友人2人が夜10時に遊びにきてくれた。
兄のHPを作るために悶々としていた所に
ふざけた2人が来てくれた

久しぶりという事もあり4時まで話し込んで(?)しまった!
最後は のーびのーび のラーメンを3人で作って
ぐはぐは むしゃむしゃ 笑いながら 食べました!
結果、ポン酢最強という事でした!

ちなみにこの3人は東京組!!(予定も含め)
1人は、早稲田の政治経済学部
1人は、東京に出てきて美容師になりたいチャラ男です。


はい。じゃあ、いっちゃいましょー!
シエラレオネの後のセネガル。
ラストブラックアフリカ!!




黙れ糞ガキども!
長らく生活したシエラレオネを僕はとうとう旅立った。日本だと帰るところにお土産として何かを買う。しかし、西アフリカでは少し違う。何を言われるかというと、「お土産として何かをおいて行って☆」もしくは「ご飯をご馳走して☆」とよく言われる。だから旅立ち前日は子供達によるパーティストライキが夜中に始まりそうになった。(なってない) 結果、いつも通りワイワイしながら、ソフトドリンク(一本30円)を20本を起きてる子供とおばさんに配った。20人皆に感謝されて、とても気持ちよくなった。これが「共有と感謝」なんだなと。

さてさて、僕は5ヶ月もこの町内に住んだ。五ヶ月。 本当に 住んだ。 だから皆悲しんでくれたけれど、唯一涙を流した子供は小学6年生の女の子だけだった。(それも少し寂しいけど、まあOK)子供が僕の腕の中で泣くのは初めてだったので、抱きしめて頭を撫でてあげた。(俺イケメン(キラッ) この女の子だけが泣いてしまったのもわからなくない。何故かというと、彼女は父親を一年前に亡くしているからだ。僕は彼女の弟四歳を僕の息子と勝手に認定していた。だから必然的に?彼女も自分の娘的な存在になる。3歳、4歳の父親がいない子や夫婦仲が悪い子ほどいたずら好きだったというのが素直な感想だ。彼女は小5までは父親もいたので安定していたし、モノわかりも良かった。僕はというと運良く21年間両親を亡くしていない。だから彼女を抱き寄せ彼女の鼻水をお気に入りの半ズボンに染み込ませる他なかった。

旅立ちはとてもあっさりしたものだった。七対三の水と醤油くらいだった。出発当日は日曜日朝七時ということで、やんちゃボーイやんちゃガールズは全員寝坊。起きたのはホストの友人と両親、隣のおばさんだけ。母親の方は涙を流し。友人とは「また。と言って別れた」五ヶ月間感謝。





初の国境
シエラレオネのフリータウンとギニアのコナクリは非常に近い。ちんたらしててもタクシーだと9時間で着く。そこで賑わいを見せるのが 国境 だ。シエラレオネからギニアに行く途中、ギニアの国境は酷い。賄賂チェーン とでも名付けよう。警察と軍がいくつも場所を作って金を取る。変なシステムだったし、知らない人や外国人(僕みたいな)から的確に少しずつ金を食い漁る。そう、スーパーマーケットの試食コーナーで満腹になるようなイメージだ。(たぶん違う)そんな風にしか警察や軍隊も雇用を生み出せないのかもしれない。いや政府は全く関わっていないのかもしれない。いや、南アフリカの大統領ジェイコブ・ズマが子供を持ちすぎなのかもしれない。え、何人?調べてみてよ。え?うん関係ないね。

ギニアの国境については後で書く。僕を乗せたタクシードライバーはギニア人の両親を持つシエラレオネ生まれの白いイスラム服がトレードマークの髭長ジェントルマン。(何故か前歯の左側が奥歯の形をしていた)彼はイスラム教の勉強をするためにパキスタンに行ったことがあるほどの、とても熱心なイスラム教徒だった。彼は何度も僕を助けてくれた。国境を渡る時、2日間ギニアのホストとして、更に食事も奢ってくれた。払うよと言っても「君にお金がないのわかっているから、良いんだ。お金じゃない。そういうのじゃないんだ。」と僕に優しい目と変な前歯で語った。家ではシエラレオネ内戦の個人的な話を聞けたし wikipedia では理解不能だったその内戦の概要も教えてもらった。ギニアは2日しかいなかったけれど、髭長ジェントルマンのおかげで充実したコナクリ生活だった。ギニアはシエラレオネよりも経済的に発展していることが建物の数、質、道路の幅などですぐにわかった。銀行も多かったし、小さな食堂が多くあった。

セネガルへと

その後、セネガル行きのタクシーに3日ほど乗りセネガル、ダカールに着いた。ダカールの国境はギニアとは全く違う。まず国境担当の役人の優しさ。ギニアの国境は、他のシエラレオネ人女性には英語を使い、僕には「仏語が公用語なんだから、仏語話せよ。」と仏語で対応してくださる。その時は髭長ジェントルマンが助けてくれた。その反面、セネガル側は英語で対応。セネガルには余計な検閲など一つもなく、国境から政治的な統治がされていることを財布の重さで感じた(もともと軽いけど)現在、警察と軍の賄賂祭りによって通行者の愚痴で賑わっているシエラレオネとギニアの国境だが、新しく国境用施設が建設中だ。ギニアの大統領は去年変わったばかりなので改善を期待。

セネガルに着いてからは驚きばかりだった。道路の綺麗さ、公共バスが整っている点、植物の変化など。セネガルに入ると少しずつ変化していった。壁と壁に挟まったルパン三世のように、セネガルの間に挟まっているガンビアを境にセネガルの北側から乾燥度が高まっていることが後からわかった。南側にはあったバナナやマンゴー、ココナッツは見なくなり、北側からうあバオバブや針葉樹が増える。砂の色は赤褐色から灰色になった。こんなに乾燥したアフリカもあるんだなと感じながら、砂漠が近づいていることが明らかだった。砂漠に近づいていることは怖い反面、ワクワクした。

セネガルは日本人にとってとても来やすい西アフリカだ。アフリカにはローカルなファーストフードがたくさんあるが、セネガルにはファーストフードを名乗るファーストフードがたくさんある。それを食べるのが一般的になっていると思われる。主にパン系統で、それを4日食べ続けたら便秘になった。食べやすさ、という点でパンを上げた。しかしセネガルフードで忘れてはいけないのが チェブジェンだ。




「待ってました!」
「よっ男前!」

味の濃さは料理する人によるが、米ベースで人参、大根、ナス、魚、オクラ、キャベツと出されたら問答無用で「いただきます」と言うしかない。美味しかった。


とにかく、
セネガルは観光に向いているという印象を受けた。
ビーチの綺麗さ、観光地も多くあるし、フランス語が公用語。
住む場所によってはイスラム教の音楽をずっと聞ける。
基本的に治安はひどく悪くないしチケットも安い。
ただ、現在は大統領選挙前後なので注意した方がいいらしい。
以下の人はセネガルに行くといいかもしれない

1. フランス語を勉強したい人
2. アフリカに興味がある人
3. 海が好きな人



ただ、次回のエントリーは
セネガルを批判的に見たい。

2012/03/15

自分空間

帰国

久しぶりのエントリー!
やごです。






日本に帰国して3週間ほど経った。
友人やtwitter で発見した人と10人ほど会っていた。
そこで気づいた事は
少なくとも自分の話に価値があるってこと


自分がしてきた旅は短かった。
まさかの50万円失った。
色んな所に行ったわけでもない。
多くの人と語ったわけでもない。
ただ、西アフリカで生きていた。


それでもいいんだなと思う。
随分、怠惰な生活をしていたし
ただの自己正当化でしかないけれど
それでもいいんだということ。

そんなことをブログにこれから書いていきたい。
少ないストーリーを少しずつ書いていきたい。